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『乗り合わせた女』

その日は忘年会で、金曜日だったから翌日仕事がないってんでいつも以上に飲んだ日だったんだ。
同じ方向の連中と一緒にタクシーに乗ってマンションの前に帰ってきて、同僚はまだ先だったからそれをガキみたいに大きく手を振って見送ってさ。
フラフラしながらもマンションのロビーに入ったんだよな。

マンションって言ってもたいしたことない、俺の給料に見合った粗末なもんでさ。
一応オートロックなんてモンもついちゃあいるけど、狭い敷地に無理やり建てましたー…みたいな感じで。
部屋だってそう広くないし、内装も外装もお世辞にも綺麗とはいえないしな。
いつか部長が住むような高層マンションか、でっかい一軒家でも建てて可愛い嫁でももらいたいもんだよなーなんて、独り身のワビシサってやつを噛みしめながらオートロックを開けたわけ。

自動ドアを通るとさ、細い一階の廊下があって、両脇に部屋がひとつずつある。
薄暗い廊下の突き当たりには赤い扉のエレベーター。
ちょうど一階にいるらしく、ドアの長方形の窓が白く光ってた。
俺の部屋は3階だけど、階段は外にしかないし、もうとっくに日付変わってて真夜中だからクソ寒いし、俺この通り酔っ払いだしで、何の迷いもなくエレベーターのボタン押したわけ。
なんかガタンガタンいいながら赤いドアが開いて、乗り込んでから3のボタンを押すと、やっぱりガタンガタンいいながらドアが閉まってゆっくり上昇し始める。

なんか貧乏くせぇエレベーターだよなぁ~って、なんとなしにドアを見てたら、長方形の覗き窓に光の反射で自分の姿が映っててさ。
「いや貧乏くせぇのは俺か」って笑いながら自分にツッコミ入れたときに、変なことに気がついたんだよ。

ガラスに映った俺の後ろ側。
エレベーターの隅っこ、ちょうど角のとこに、女の人が立ってる。
壁のほう向いてるから顔は全然わかんないけど、髪長いし、来てるトレンチコートも女物っぽいから、まぁ女だろう。


けど、このエレベーターはそんなに大きくないし、男が五人乗ったらギュウギュウくらいのサイズなのに……乗り込んだときには気がつかなかった。


フツー気付くだろ!どんだけ酔ってんだよ俺!って笑えたけど、まさかって事もあるじゃん。
ほら、《見えちゃいけないモノ》ってやつ?
今までそんなの見たことないし、霊感も絶対ないから有り得ないとは思ったんだけど、まさかってこともあるから。
そーっとそーっと、女にばれないように振り返ってみると、やっぱりそこにいる。
別に透けてないし人間だよなぁって思って、ガラスの景色に目を戻した。

もしかしたら彼氏にふられたとかで超落ち込んでるのかもしれないし。
親が死んだとか友達が死んだとかで辛い思いでもしてるのかもしれないし。
とにかく触らぬ神に祟りなしってやつだわ、と醒めてしまった酔いを勿体無く思いつつ、ドアの上の階数表示を見上げた。
数字の2が光っているから、今は2階と3階の間らしい。

……あれ、そういえばさっきから結構時間経ってないか?
3階だぞ。
とっくについてもいい頃だろ。

操作盤を見直しても3のボタンが光っているし、窓の向こうでは灰色の壁だか何だかがゆっくり下に吸い込まれていく。
つまりこのエレベーターは絶賛上昇中って事だ。
酔ってるからわけわかんなくなってるのか?
ガラス越しに見える女は、まだ壁側を向いて突っ立っていた。

この時、どうしてそんな勇気があったのか自分で自分が信じられないんだが、俺は彼女にこのエレベーターが奇妙である事の同意を求めようと思ったんだよな。
血迷ってるとしか思えないけど、そん時は自分の判断能力が信じられなくて、とにかく同意が欲しかったんだと思う。
壁際の女に話しかけようと身体を振り向かせると、さっきよりはしっかりその姿を確認できた。
けどすぐに俺は慌てて身体を戻した。

おかしいんだ。
どう考えてもおかしいんだよ。
長い髪の毛が垂れ下がる、トレンチコートの後ろ姿から下、つまり脚を初めてまともに見たわけだけど。

つま先が、こっちに向いてるんだよ。

つまり。
俺が背中だと思ってたのは背中じゃなくて。
後頭部だと思ってたのは後頭部じゃなくて。
壁を向いてるって思ってたのは、ドアの方を…

俺の方を向いてるって事じゃないのか。

『ゴン!』

急に大きな音がして、心臓が止まるかと思った。

『ゴン! ゴン!』

ガラス越しに見ると、女が直立したまま頭だけを動かしてそれを壁に打ち付けている。
どっちを向いているのかさっぱりわからないが、髪を振り乱して、何度も何度も。

『ゴンッ! ゴンッ! ゴンッ!』

頭がかち割れるんじゃないかと思う勢いで、どんどん打ち付ける間隔も早くなっていく。

俺はもうパニックで、とにかく出なきゃやばいと思って泣きながら操作盤の「開」と「3」をむちゃくちゃに連打した。
もう後ろを見る勇気もなくて目を瞑って、女のゴンゴンを聞きながら押しまくってたら、急に目の前が開けた感じがして。
気がついたらコンクリの廊下に放り出されてた。


多分、ドアを身体で押すようにしてたのが、急にドアが開いたもんだから勢いよく飛び出す形になったんだと思う。


すぐに振り返ったけど、そこには空のエレベーターしかなかった。
女はもう跡形もなく消えていた。

なんだよ……なんなんだよもう……。
腰半分くらい抜けたよ……。

力が入らない身体を奮い立たせて、とにかく自分の部屋に帰りたくて。
もう成人して10年近く経とうってのに小学生レベルで泣きじゃくりながら、カバンから取り出した鍵を玄関ドアの鍵穴に差そうとした時。

『ゴン!』

金属のドアが震えた。
今から開けようとしている自宅の玄関のドアが、震えた。

『ゴン! ゴン!』

内側だ!
部屋の中からあの女が、ドアに頭を打ち付けてる!

狂ったようにドアに頭をぶつける女の姿を思い浮かべて、俺は情けない悲鳴をあげながらそのまま外階段に飛び出してマンションから逃げた。

そのあと友達に電話して助けを求めたけど「酔いすぎだ、アホ。」とか言われて全然相手にしてもらえないし、家に帰れないけど一人きりも怖すぎるから漫画喫茶で夜明かししたり散々だったけど…
今となっては、「やっぱ、酔ってたのかもしらんなぁ…」と思ってる。
だって俺、霊感ないし。
あの後も何も見ないし。

でも未だに、目的地がどんなに上層階だったとしても……
怖くてひとりでエレベーターに乗れない。

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